Coffee brake

ゆるりと気ままに呟きます。

しゅんモノの悲劇

しゅんが。巷では春画展が話題だ。

世界的には前々から注目されていたのだけど、日本では性的なものだからなんとかって開催が見送られてきていたんだっけ。たしか今回受け入れた美術館も小さなところで、ほかに受け入れ先が見つからなかったという話を聞いたような。


わたしは文学専攻だ。文学専攻は純文学を扱うわけで、純文学とは人間の本能的な部分とは切り離して考えづらいものなわけで。真面目にセクシュアリティを勉強したりするゼミということもあり、学術的にも用いるような単語であればなんらためらいもなく発してしまうようになってしまった。ラウンジっぽいところでゼミの話をしていると、周囲に怪訝な顔をされることもたまにある。

言葉や文章に興味があって、期待に満ちて入ったこの専攻でまさかこんな耐性がつくだなんて思わなかった。



まぁそれはいいとして。



色んな人からその春画展に誘われているのでぼちぼち行くことにはなるんだろうけど、以前とある美術展で春画自体は見たことがある。

LOVE展と題された企画展は、様々な芸術家が「愛」をテーマに作品提供していてとても面白いものだった。恋人の写真、家族、動物、ハートモチーフのアート、プロジェクションマッピングのようなものもあり作品は多種多様。その中で一か所だけ仕切りがあり、カーテンをくぐるコーナーがあった。

春画である。

いやらしさなどの先入観も特になく、単純にどんなものなんだろうという興味から友人とカーテンをくぐった。当たり前のことだけど、カーテンの向こうも美術館の一部なので特別アダルトな雰囲気というものもない。


いざ実物を前に。
よくイメージする浮世絵調で、大人なシーンが切り取られている。

……のだけど。

そこより何より、わたしと友人はある箇所に目が行った。絵画に添えてある文字、崩し字だ。


わたしたちは文学を専攻している。
古典から現代文学までこの四年間で扱ってきた、ということは、当然崩し字を読むスキルというものを習得済みである。読めない文字が読めるように、知らない言葉がわかるようになるのはなんだかわくわくする。

中学生で初めて英語を習ったとき、たどたどしくも異なる言語を読んで理解することは楽しくなかっただろうか。国語の授業でもなんでも、授業で習ったばかりの新しい単語をついつい会話で使いたくなる、あの感じ。


あの感じが、わたしたちの身体を駆け巡った。


「読める、読めるぞぉぉぉぉ!!!」


崩し字を目にした途端、ムスカのごとく展示スペースに前のめりになった。なんという女子大生たちだろうか。それだけで終わればまだよかった。

字を覚えたての幼児はどうやって本を読むか。慣れない英文はどうやって読み解いていくか。


そう、音読である。


この成長過程で染み付いた習慣なのか、わたしたちは崩し字を、何の躊躇いもなく音読した。



(※自主規制)



自然と口をついて出た自分の声に、というかその書いてある内容を理解して我に返った。


春画である。

当然書いてある台詞も、春である。


そこは美術館、静かな世界。二人そろっての音読はフロアによく響いた。みんなが、こっちを向いている。完全にやばい。


「えっ!?いや、あの、違うんです!」


人はなぜ焦るととりあえず「違う」と言うのだろうか。そしらぬふりをしていればいいのに「わたしが読みました」と言っているようなものだ。

あっという間に身体が熱くなり、もう絵など頭に入るわけもなくコーナーを飛び出してきた。かなり面白い美術展だったはずなのに、その春画アフレコのせいでほかの展示の印象はぶっ飛んだ。ただやらかしてしまった自分たちの愚かさに笑い転げてめちゃめちゃ楽しかったことは覚えている。



そんな思い出。
だから今回の春画展はリベンジだ。もう読まない、読まないぞ……!ちなみに台詞の内容としては、わりと現代に通じるようなゲスさがありました。少なくとも、わたしたちが読んだところは。