春画展へ行った話 ②
前回の続き。くずし字スキルの特需が起こり、春画展に駆り出されたわたし。
客層を見ると老夫婦から若い女性グループまで。アダルトなものとはいえ芸術的価値も高いものだし、こういったものがオープンになってきたのは良いことだ。……というようなことを先ほどからずっと、同行した友人は熱く語っている。
こいつは某最難関大に行っているだけあって知識はすごいのだけどド変態だ。本人曰く「知的探究心があらゆる分野に向いているだけ」らしいが、わたしが入院しているときにお見舞いとしてゴムを持ってきたような奴なのでいかにクレイジーかはわかるだろう。中学生かよ。先輩のことなめてるよね?
入院中はベッドから基本動けないわけで、毎日見舞いや回診は来るわけで大変、大変大変たいっへんに隠し場所に困った。思春期男子はいつもこんな感じなのだろうか。ちなみにある日わたしがシャワーに行っている間、ベッド周辺を母が掃除していた時があったのだけど、その時以降隠していたはずのゴムの行方はわからなくなった。ちがう、ちがうんだお母さん……。この真相については怖くてまだ聞くことができていない。
話がそれた。
展示は、水浴びをしておりそこを覗くような絵から始まっている。色めいた目覚め、というか馴れ初め(?)というか。そこから徐々にディープな作品が増えてくるのだけど。
別名「笑い絵」とも言われるだけあってコミカルなものが多い。ほかにも、嫁入り道具や火除けのお守り、武士が持つお守りなどとしても需要があったそうな。絵では極端に部位が誇張されているものが大半、それはまだわかるのだけどその部位が擬人化、足が生えて歩いている絵とかはもうなんだろうか。どうしたらこんな発想に至るのだろう。よくわからないけどすごい…。
同性間の接触を描いたものなど種類は多岐にわたるが、どれも下半身ばかりをしっかりと描いており、女性の上半身はさほど着目されていない。そちらも重視する(?)文化は、後に西洋から入ってきたものだからだそうだ。へぇぇ。
現代でいう「仕掛け絵本」のように、ぺらっとめくると部分が変化してみえる屏風、なんてものもあって純粋に感心した。ある程度ものが普及し始めた頃は「ただ男女がまぐわっているだけでは全然もうだめだ、趣向をこらしていかねば」なんて制作サイドの嘆きが記録してある。クリエイターは大変だ。
さぁこの辺りで、わたしが駆り出された目的は何か思い出してみよう。くずし字の解説である。
「これはなんて書いてあるん?」
「あの、要求してますね、プレイの」
「このこまごましたやつは?」
「あー、あの、擬音です」
ひと文ふた文を(細心の注意をはらった小声で)音読すると、周囲のおじさんたちまで聞き入る。なんだこの羞恥プレイは。我、女子大生ぞ?うら若き乙女ぞ…?おい北斎!おまえがこんなこと書き入れるから平成の世でわたしがこんな思いをせにゃ……
そんなやり場のない憤りを感じながら拝観してきた。こんだけ恥ずかしい、ということはつまり現代に通じるエロスがある、ということでもある。でもやっぱり面白くて見る価値がある展示だったと思う。
どれよりも制作サイドが楽しんでつくったんじゃないかな、と思うのが春画Tシャツである。前面に絵がプリントされているのだけど、その「見えちゃいけない部分」がちょうどポッケで隠れている。なんかもうなんか、日本人ってばかだなぁ(笑)
わたしはグッズを買う勇気まではなかったが、友人は春画バッグを購入。これで大学に行くと意気込んでいた。ただ街中で思い出したかのように取り出して広げるのはやめてほしかった。
そんなわけで春画展、とても良かったです。皆さまもご覧になる機会がございましたらぜひに。
追記:わたしがセンスの塊と評した春画グッズのデザインをしたのは、とある友達の知り合いの教授だという話を後日聞きました。世間って狭い。