Coffee brake

ゆるりと気ままに呟きます。

ミッション:弟を攻略せよ!


人ってないものねだりだと思う。


最近どうも「良いな」と思う人は金髪が多いことに気づいた。それもバンドマンで、金髪。生まれてこの方染色ナシの黒髪、ピアスホールもなしの純情乙女()であることの反動がきているのだろうか。


他にも、きょうだいがいない人は欲しいと思うだろうし、姉がいる人はたいてい妹が、兄がいる人は弟がほしかった、なんていうこともあるだろう。



わたしには弟がひとりいる。
性格は正反対、わたしは活発で弟は内気。おまえがコミュ力を全部吸い取ってしまったのではないかと親に咎められる程度には大人しい弟だ。


小さい頃は仲が良かったはずだ。(ちょっとパシりを頼んだり、おやつを無断でひと口もらったりは多々あったけど、そんなのはたぶん他の家庭でもままあることだろうし)ごくごく普通のきょうだいだったと思う。

しかしいつからか、まともな会話はなくなった。たぶん、弟が思春期にさしかかったあたり。中学に入ったあたりからだ。これといって決定的な出来事はなかったはず。なぜだ、なぜだ…?


思い当たる節はひとつ。


田舎育ちのわたしの地域は私立へ進学という概念がなく、小中は住んでいる学区でスムーズに決まる。だからきょうだいはみんな同じ学校なわけだ。

そこで存在感ありありなわたしは至る学校、至るところで武勇伝を残してきた。認知度はひどく高かったはずだ。となると何が起こるか。



「あいつの弟が入ってくるらしい」



教師の間ではそういう噂が囁かれる。視聴率バリ高。どんな弟だ、さぞかしすごいやつなんだろう。注目度満点の中、訳もわからぬ弟はマウンドにたたされる。打つんだろ、なぁ打つんだろホームラン???

そんなゲームが繰り広げられていることもつゆ知らず、姉のわたしはのうのうと日々を送っていた。ある日ボケーッとしていると先生から話しかけられた。


「ねぇ、弟わかったよ。○組でしょ?」

「あ、はい」

「なんか……弟っていうか引っ込み思案な妹って感じ?」



バッターアウト!チェンジ!!!
ワァァァァァア!!!!

能天気なわたしでも、何か「やっちまった」ということはさすがにわかった。ちょうどこのころからだ、弟との会話がなくなりはじめたのは。


そんなことを人に話すと「年頃の姉ちゃんと話すのが気恥ずかしいんだよ~」なんて言われたりするのだけど、そんなことはない。意識してるような素振りはない。わたしのスリーサイズなんかにも微塵も興味がなさそうだ。というか煽るような身体をわたしがしていない。残念!



大学に入り、わたしは上京とともに実家を離れたのでことさら会話はなくなった。帰省をしても同じ家にいるはずなのに、なぜだか顔を合わせることもない。さすがにここまでくるとまずい…?そんなことを思っていたある日。



「○○さんがTwitterをはじめました」



アカウントに通知がきた。携帯の番号が登録されてある場合、このような通知がくることがあるのは、みなさんもご存知だろう。

ふーん、誰だろ。名前からは推測が難しかったので、過去のツイートを見てみた。

アニメの話、音ゲーの話、東方の話、
それに紛れて、食べ物の話とバイトの話…


…?


わたしがこの日実家で食べたものと一緒…?


もしや。


疑念とともに親指を滑らせる。スクロール、スクロール、スクロール…



「ビンゴだ…」



弟のアカウントを発見してしまった。
しかもマル秘のヲタアカと思われるものを。

アイコンは、ロリ系アニメの女の子。



い、いつの間にこんな子に…
妹が欲しかったのね、わたしという姉がいながら二次元に走るなんて…一体わたしの何が不満だt



…あれ。



もしかして:「三次元の姉がクソすぎてロリ妹アニメに走った」のではありませんか?



心の検索エンジンが主張している。
ヲタ化したのはわたしのせい…?わたしがあまりにひどいから生身の女に嫌気がさしたの?確かに実家だとなおさら普段よりオフってるしだらしないかもしれないけど…、え、そんなにひどい?

そのことに気づいてから心のなかで懺悔し続けている。世の中には良い女もいっぱいいるよ。わたしのことは嫌いになっても、他の女の人のことは毛嫌いしないでください…。



そんなわけで社会人デビュー前ラスト帰省中の今、どうにか姉の好感度をあげられないか日々悪戦苦闘している。明日はおはようって、おはようって言うところからはじめるんだ。おやつあげたりするんだ…。

何か進展したら報告します。
アドバイスがありましたらぜひともください(;_;)

執事喫茶へ行く ②


いざ、執事喫茶。完全予約制というので、ここはひとつわたしが、と先日済ませておいた。


青地に蝶が舞う、お上品なサイトにはお屋敷の様子と執事が写る。異世界としか言いようがない。「お屋敷のご案内」「教えて執事」などとクリックしたくてたまらないリンクが多々あるものの、まずは「ご来館予約」をクリックした。

なるほど…日によって1名~4名まで案内している席数に限りがある。席は基本80分、ディナータイムは120分。おそるおそるクリックする。

なんとそこでは「店での呼ばれ方」をセレクトできるらしい。ほええ。奥様、お嬢様、お坊ちゃま…。迷わずお嬢様をクリックする。姐さんが裏でこんなことしちゃってる。謎の背徳感でぞくぞくが止まらない。



かくして異世界キラキラ空間へ飛び込んで行くべく、わたしは山手線に乗り込んだ。いざ、スワロウテイル。法螺貝が鳴り響く。もうどうにでもして。わたしは今日だけお嬢様。


池袋の中央改札で同じお局ポジションのツボネちゃん(仮名)と待ち合わせ、お店に向かう。


「どうしよう、人生初のデートの時ばりに緊張してる」

「謎にめかし込んでるもんね」


レンガ調で蔦が這う外観にたじろぎながら、コツコツと階段を下る。そこに立つのは燕尾服を着た男性、いや、執事だった。イケメン。既にしてイケメン。

名前を伝え、店の前の椅子にちょこんと座る。扉は重そうなしっかりとした造りで、アンティーク調のチャイムもついている。空気感が、違う。ここは池袋などではない。


「(世界観なめてた)」

「(シッ)」


思わず漏らしてしまった声をツボネちゃんに咎められながら、わたしは壁を見つめていた。すごい。やっぱりこういうところで働くのってルックスも関係してくるのだろうか。


扉が開く。


それではこちらへ、などと声をかけて頂いたような気がするが、正確に覚えていない。それよりも景色の衝撃がすごかった。目に飛び込んできたのは洋館そのもの。ベルサイユ、薔薇の花、オスカル、ヨーロピアン。そんな言葉が飛び交っていそうな空間は、微塵も平成の日本ということを感じさせない。

お付きの執事がコートを預かってくれるのだが、わたしはなかなかスムーズに脱げなかった。スッと上着を脱いだツボネちゃんが澄ました顔でこちらを見ている。むむ。


席へ通される。カーテンがかかり半個室状態だ。ソファーはふかふか、クッションもある。執事はわたしたちが座ったのを確認し、自己紹介をはじめた。若いイケメン執事はまだ新人らしく、若干緊張の表情が見え、逆に安心した。わたしたちも緊張してます。自分のお屋敷ですけど。



執事の名前を緊張のあまり忘れてしまったので仮にセバスチャンとしよう。セバスチャンはわたしたちのお膝にナプキンをかけた。


「お呼びの際はこちらの鈴を鳴らしてください」


鈴…鈴ですって。もう顔を見合わせただけでツボネちゃんとは通じ合える。ほんとに鳴らすの?ほら見て、周りのお嬢様や奥様たちは手慣れた手つきで鳴らしてるどころか、あんなに執事と親しげに話しているわ。わたしたちだってそれくらい…。でもそんな動揺を見せてはいけない。ごほん、と咳払いをするとわたしの膝からはらりとナプキンが落ちて、慌ててセバスチャンが飛んできた。ごめんセバスチャン。


チリン…と申し訳程度の音を鳴らすと、セバスチャンはすぐさまにっこり振り向いた。ああ…絶対気遣われてる、優しさがつらい。


「あの…」と、蚊の鳴くような声でガチガチのまま頼んだのは段々になっているカゴに盛られたスイーツと紅茶。スイーツはご丁寧にセバスチャンがお皿に取り分けてくれた。


「スコーンにジャムってどうやってつけるの」

「え、塗ればいいんじゃないの」

「でもなんかここに切れ目あるよ!?」

「え、挟むの!?そんなばかな」

「わかんないよ?テーブルマナーがわかんない!」

「やだもう!お箸がほしい!(?)」


こんな具合にいらんところでパニクってはナプキンが落ち、セバスチャンは飛んできた。なんとかスコーンを食べ終わっては「次の菓子は自分でとって良いのか、それともチリンとセバスチャンを呼ぶべきなのか」とパニクり、ナプキンが落ち、その都度セバスチャンは飛んできた。嫌な顔してもええんやで…ていうかもうナプキンなんていいよ大丈夫だよスコーンの粉くらい払えば…。


そうこうしているうちにあっという間に時間は過ぎ、セバスチャンから「舞踏会の時間ですよ」と声がかかる。嘘だろ、80分かけてお菓子食べたの?わたしら。


コートをご丁寧に着せられ、「馬車が待っております。いってらっしゃいませ」と見送られる。純な目をしたセバスチャンは深いお辞儀をする。いってきます、とドアを抜けたわたしたちを迎えたのは、なんの変哲もない道路に電柱、アニメTを着た人の群だった。嗚呼。




…というわけでわたしから言えることは
「テーブルマナーは完璧にしておけ」です。



しかし、少々値段はお高めですが、絶対行く価値はあります。そのくらい完璧な世界観ができあがっています。興味がある人は、ぜひぜひ。


執事喫茶へ行く ①



「心を浄化しに行こう」


真顔でバイトの同僚がそう言ったことから始まった。大学3年の冬だった。


「何どうしたの浄化とか。ソウルジェムでもやられてきたの?」


わたしはその時、アニメ好きの友人から「とりあえず見ておけ」と勧められたまどマギを夜通し見るというタスクをこなしていた。


ソウルジェムより目のクマやばいけど大丈夫?毎日モンスター飲むのやめなってば」

「えーほらでもねよく見て、わたしが飲むのはいっつもアブソリュートリーゼロなの!その辺気にしちゃうあたりまじ女子r」

「んで本題に戻るけどさ」


全力のボケをかわされた。


「最近、誰かにちやほやされてる?」



chiya-hoya.



脳内で行き場のないアルファベットが浮遊する。ちやほや。ちやほや…?なるほど今は彼氏もいないし、強いて言えば飲み屋のおじさんとかはなんとなく女の子扱いされるけど、最近に至っては塾の社員さんまで呼び方g


ガララッ


「姐さん、○○さんの代講分のプリントおいとくね。まぁあなたならできるでしょ」


姉さん、ではなく姐さん。

バイト講師内でも年下の方なのに、開校当時からバリバリ仕事をしていたせいで、わたしは完全に準社員ポジションの姐さんと化していた。わたし以外のスタメンはみんな男性だったのだが、並んで歩けばどこぞのボスが子分を引き連れて歩いているようだとも形容された。大切にすべき紅一点なのにひどい言われようである。

ちなみに今でも、どんな場所へ行っても誰かしら姐さんと呼ぶ人間が存在する。でぇーい!茶を持って来い畜生め!!



「ちやほやされたいです」

「でしょ。あたしらのお局感、端から見たら結構やばいっぽいし」



そんな彼女も開校当時から事務を担当しており、今や社員よりも作業をスムーズにこなすツボネーズの一人だ。確かに生徒たちの態度を見ても、他のバイト講師たちよりもわたしたちに対する方が明らかに一目置いている、というか若干恐れている。若干礼も深い。子ども心にもオツボネ感を汲み取っているのだろうか。



「池袋に完全予約制の執事喫茶があるんだってさ」



完全予約制の執事喫茶


この前親知らずを抜いてきた有名な歯医者さんも完全予約制だった。それと同等の喫茶店だと? あの全然痛みもなく抜歯してくれた名医と一緒? すげぇ。…と、よくわからない私情を挟みつつ、「執事」という言葉に大変心惹かれた。

ド田舎出身のクソ庶民のわたしにも執事がついてくれるのか。金髪縦ロールで、なんかパラソルみたいにぶわって広がるスカートをはいていなくてもいいのか。無駄にバージンヘアを貫いている黒髪女でも洋館のお嬢様になれるのか。それは



「行くしかない」



この間2秒である。



「さすが!そのノリの良さ大好きだよ!」



ツボネちゃん(仮名)は興奮のあまりウォォなどという、少し親しみを見せ始めた獣の唸り声のような音を出している。喜んでいる。わたしもウォォ、と応えた。

こうして獣2匹は人生初の執事喫茶へ行くことになった。この時点で既に先が思いやられる。


漂流郵便局


「父さんは、君がいなくなってから泣き虫になりました。」

一番はじめに手に取った手紙は、そんな書き出しから始まっていた。



新宿から香川は高松まで高速バスで11時間弱、高松駅から詫間駅まで電車で50分、そこからバスで須田まで15分、港まで徒歩2分、そこからフェリーで15分。そんな長旅の末に、瀬戸内海に浮かぶスクリュー型の小島、粟島へ着いた。

手作りの看板、暖かな気候、島民の方々からの温かな歓迎の中で、ようやく見つけた目的地。



漂流郵便局をご存知だろうか。



もう会えない人、音信不通になってしまった人、過去や現在、未来などの時間の流れは関係なしに、どこかの誰かに宛てた手紙や言葉を預かってくれる場所だ。正規の郵便局ではなく、元々瀬戸内芸術祭の一環で設置された作品なのだが、反響が反響を呼び、今もなお多くの人が訪れる。

小川洋子の小説に出てきそう、と思った。テレビで何度か特集を目にするうちにどうしても行きたくなって、つい先日、卒業旅行として友人と訪れた。



辺りに並べられたカゴから封筒をひとつ取る。息子さんを亡くしたお父さんの手紙だった。この場所に流れ着く手紙で最も多いのが、亡くなった人に宛てた手紙だ。そう知ってはいたものの、あまりにのどかな島の中で、唐突に死という冷たいものに触れたために、戸惑いを隠しきれなかった。


「父さんは、君がいなくなってから泣き虫になりました。」


お父さんはきっと、息子さんが生きていた頃は涙を見せることもない強い人だったのだろう。そして、ずっとずっとやり場のない気持ちを抱えているうちに、言葉を預かってくれるこの郵便局を見つけた。


「父さんは今もサッカーを教えています。相手は君と同じ小学生です。」


流れ続けるひとりの時間と止まったままのひとりの時間。それが交わることが許される場所なんだな、と思った。


「また公園で一緒にサッカーしような。それでは、また書きます。」


そのお父さんからは何ヶ月かおきに手紙が届いているようで、それも並んで丁寧にカゴにおさめられていた。徐々に手紙の間隔が空いてきているのは、少しずつ救われてきている、ということなのだろうか。



たくさんの手紙を見ていて気づいた。名前が明記してあるものも多いのだが、「あなたへ」という言葉も多い。

「あなた」は誰でもそう呼ばれうる、抽象的な呼称だ。でも、手紙の書き手からしてみると、「あなた」が指し示す人物はただ一人しかいない。呼び方を突き詰めていくと、そうなっていくのかな、なんて思った。



あの時できなかったこと、言えなかったこと、数え切れないほどの後悔の言葉があった。気持ちを伝えたい相手は確かに定まっているのに、ここにある手紙や葉書がその人に届くことは決してない。だからこそ、素直に気持ちを表現することができるのかもしれないけど、なんだか切ない。

当初は数百通ほどだった手紙は、今では一万を超える数が届いているのだという。届かないとわかっていても、このような場所を必要としている人はたくさんいる。「その大切な手紙は、全部ここに飾っておくんです。差出人がいつ迎えにきても良いようにね」と語る局長さんは、御年81歳。笑顔を絶やさない素敵な人だった。


「今度来るときは、良い人と来なさいよ」


かっはっは、と大きく笑う局長さんに、鼻をぐずらせながら「だと良いですけど」と言った。ばっちりアイメイクをしてこの郵便局を訪れることは絶対におすすめしない。ゆったりと時間が流れるこの島は本当に素敵な場所で、絶対にまた来たいと思うところだった。なんなら帰りたくない。でも。


「寒波がまずいそうなのでもう行かなきゃ…」


非情にも歴史的大寒波の襲来を目前に控えていたので、予定を早めて帰らざるを得なかった。朝はあんなに晴れていたのに暗雲が押し寄せ、四国なのに信じがたいほど冷え込んできた。タイミング、ほんとにタイミング悪い…。

結局、「たぶんその予定だと間違いなく帰れなくなるよ」という近所の民宿のおじさんのアドバイスを受け、急遽翌朝のジェットスターを確保した。最後は駆け足となってしまったが、至る所で「またおいでね」と言われながら、フェリーに揺られ島を後にした。



どうせなら。今、会える人たちには直接言葉を伝えたい。大切な人であればあるほど、大切なことであればあるほど。だけどわたしも素直じゃないから、なかなかうまくはいかないとは思うけど。もし心を休めたいとき、何か行き場のない気持ちを抱えたときは、この郵便局を思い出すとちょっと救われるかも。


香川県粟島。機会があれば、立ち寄ってみてはいかがでしょうか。http://missing-post-office.com/


ドラマチックは意図的に

昨日は女子会をした。ホテルのアフタヌーンティーなんておしゃれイベントである。すごいね女子力だね!!ホテルのロビーでアフタヌーンにティーを飲むのである。はぁぁそんな贅沢、わたしには許されるのかしら。

シンデレラの気分だ、という旨を申したところ、「シンデレラはああ見えてしたたかな計算高い女だからおまえとは違うだろ」と言われた。暗にバカと言われた。


しかし確かに考えてみれば、12時の鐘が鳴ってダッシュをする際、わたしならガラスの靴が脱げたらすぐさま拾いに戻るだろう。なんならピンヒールってものすごく走りづらそうだから、いっそ脱いで持って走る。さよなら王子様。

しかもシンデレラは姉たちが入らない入らないと無理やり靴を履こうとしているところへ、「あれれ~?あたしもう片足分のガラスの靴持ってるお!?」みたいな風に満を持して登場するというからもうアレである。


どうもサムデイにプリンスがカムすることを窓辺で頬杖つきながら星空に夢見るだけではダメらしい。そんな女だったのかシンデレラ。あいつは今もわたしの姿を見て陰で嘲笑しているに違いない。



「あたしはイングリッシュキャラメルで」と、慣れた様子で頼んだ友人から「何飲むの?」と聞かれたので、「このオリジナルブレンドの【ビューティー】で!」と言ったら鼻で笑われた。


BBクリームでBB弾を連想するほどのわたしの愚かさ(「BBとしゃれこうべ」参照)を知っている彼女らは、今後のためにと親身にアドバイスをしてくれた。というか本気のダメ出しである。

「とりあえずメイクに10分はかけろ」「素材は悪くないはずなんだ」「魅せ方を覚えろ」「ていうかそもそもなんで全部笑いに走ろうとするの」と、外見から言動からズバズバ言われたために、早くもわたしの心は赤く点滅していた。あまり好みの味ではないビューティーを片手に、震える声でわたしは聞いた。



「じ、じゃあどうやったら、照れ隠しで笑いにも走らずに可愛く振る舞えるんですか」


「んー」


イングリッシュキャラメルの友人は一瞬の間を置いて、こう答えた。





「ドラマの主人公になった気分で、もうその雰囲気に溺れるの」




勝てねえ。
わたしは冷めきったビューティーをすすった。



というわけで、ここはひとまず手っ取り早く始められそうなメイクの基本からちゃんと調べようと思い、ネットサーフィンをしていた。そもそもわたしの顔に合うメイクって何。



「つりめ 二重 きつい」【検索】


んー、奥二重のためのメイクばっかり出てくる。違うんだよなぁ。細目のキツネ目ってわけでもないし、むしろ目は大きい方だし…。そもそもキツネって目つりあがってんの?


「キツネ 画像」【検索】


うひょああ可愛い!確かに多少目はつり上がってる感じはするけど、ここまで黒目がちで愛らしいとそんなのチャラだよね!!

ところでキツネとフェネックって一緒になってるサイトなんてあるけどフェネックの違いってなに。フェネック、フェネッk…



カチ、カチ、カチ、カチ…



最終的には「あのスマブラに出てくるキツネってなんだっけ」と思い調べていたところでふと我に返った。

ついでにそのキツネが出てくるゲームは「スターフォックス」なるゲームなのだが、わたしはそれを「ファイアーフォックス」と勘違いしていたことも判明した。たぶんファイアーエムブレムと混ざっていたんだと思う。またひとつ学びを得た。


道のりはまだ長い。


BBとしゃれこうべ

間違ったまま覚えている知識って実は意外と多い。


わたしは自他共に認める美意識の低い女なのだけど、ことにメイクに関する知識の乏しさは群を抜く。いつもしているメイクの所要時間は5分。時短ではない、フルメイクである。なぜそれほど時間が短いか、理由は簡単。そもそもメイク道具を知らないから、それほど持っていないのだ。

母が化粧っけのない人だったので、娘のわたしも関心を寄せることはなく。ファッション誌を立ち読んでも、メイクのページはわからないので飛ばし読み。何となくみんなの会話で小耳に挟んだ情報を元に買ったりつけたりしていた。


今日は何とはなしににつけていたテレビで、GENKINGが化粧品を紹介していたので、たまたまぼーっと眺めていた。

「BBクリームとCCクリームっていうのがあるんですけどぉ~」

知ってる。それは知ってるぞ!だってサークルでみんなが言ってたもんな!買って使ったことだってあるぞぉ!

「これは下地やファンデーションが一緒になっていて」


…?


わたしは気づいた。確かにクリームを使ったことはあった。でもその用途はよくわかっていなかった。BB、とつくのだからとわたしはBB弾を連想していた。BB弾といえば弾ける、メイクで弾くといえばUV。なるほど、UVカットのクリームか。

よく考えてみればこの世に日焼け止めというものは既に存在しているのだがそんな考えにも及ばず、低クオリティのマジカルバナナでの結論を疑うこともなく、わたしはBBを使っていた。


その結果、わたしは下地を塗って、BBを塗って、さらにファンデを塗っていたので、肌は意図せず二重膜構造と化していたらしい。ミトコンドリアかよ。

そんなわけで自分の知識のなさと変な調子の良さに絶望し、特集ののちすぐさまドラッグストアに駆け込み、メイクのメの字から学ぶこととなった。ありがとうGENKING。社会に出る前に恥をかかずに済んだよ。



勘違いと言えばである。

先ほどのBBの一件でもおわかりのように、わたしはどうも「語感でなんとなくモノをイメージしてしまう癖」があるらしい。



確か高校生のときだった。



テレビか何かで「しゃれこうべ」と聞こえてきたので、何とはなしに会話に出した。


「そういえばまだしゃれこうべって食べたことない。」


母はきょとんとしている。


「いや、だからしゃれこうべ食べたことないよねって」
「あんた…しゃれこうべって何だと思ってん…?」


え。
しゃれこうべって食べ物じゃないの。


何がどうなってそうなったのかはわからないが、わたしの脳内「しゃれこうべ」は神戸土産の焼き菓子だった。36個入りとかで、薄い白い紙に包まれた棒状の焼き菓子。カロリーメイトが少しふっくらした感じ。パッケージには「銘菓 しゃれこうべ」と草書体で書かれている。食べたことはないけど、きっとバター風味の甘くて美味しいやつである。


そんな謎の確固たる「しゃれこうべ」像を話したところ、母はたちまち吹き出してすぐさま父を呼んだ。わたしはきょとんである。あまりにイメージが定まりすぎていたので、「そのしゃれこうべしゃれこうべじゃない」と言われたところでイメージができなかった。

だって考えてみろ、今まで「クッキー」だと思っていたものを突然、「それは違います。本当のクッキーはこちらです。」と髑髏に置き換えられてみろ。パニックである。じゃああの脳内イメージ画像はどこからやってきたものだったのか。

あまりの衝撃で放心状態のわたしは家族に爆笑されながらも事実を受け入れられなかった。「そんなはずはない!絶対銘菓はある!」根拠のない自信のもと、翌朝学校で会う友人会う友人に真顔で尋ね回ったものの、幻の銘菓しゃれこうべの情報はついぞ出てこなかった。ググってもみたけど出てこなかった。


「ようやく無知を自覚してきたか」
心のソクラテスがそう呟いた。


しかし、自分が信じてやまない概念が突然崩壊すると人はパニックになる。天動説・地動説の争いのときなんて、人々はさぞかし戸惑ったんだろうなぁ。わかるわかる。平成の日本でわたしはしみじみ思うのだった。

おとうさん


仕事の研修に口述試験に飲み会、目まぐるしく過ぎていく日々の中、どうしても向かわなくてはならない場所があった。とある飲食店である。


4年前の上京して間もない頃、右も左もわからない東京で初めてアルバイトした店だった。接客の仕方から効率の良い作業の仕方、一人暮らしのアドバイスまで、大将は丁寧に丁寧に教えてくれた。彼をAさんとしよう。



そんなAさんがそのお店を離れ、独立することが決まったという。



長年彼が語っていた夢であるだけにいよいよか、と思うと嬉しく、でもいつも迎えてくれるホームがなくなるのかと思うと悲しく。とにかく、そのラストの営業日の夜は、何がなんでも駆けつけようと決めた。



お店からAさんがいなくなる、とわかると皆が次々に予約を入れ、ラストの一週間は特に大盛況だったらしい。小さなお店には入りきらないお客さんもおり、「顔を見せにきただけだから」なんてプレゼントを置いていく人もいる。

常連さんたちはみんな仲が良く、「ここがなくなったら俺たちはどこに行けばいいの」「しばらくロスで落ち込んじゃうよー」なんて笑って話しているけど、どこか目は寂しげだ。

人は次から次へとやってくる。決まってみんなは笑顔で、温かい。ヒーター(とお酒)のせいだけではないほっこりした空気を感じながら、どうしてこの人はこんなにもたくさんの人を幸せにできるんだろう、と考えた。



高校卒業後から働き出したAさんはいつも、「いやぁみんなは高学歴だからすごいよ」なんて言うけれど。必ずしもステータスで人間性が決まるものではない。

現に彼は頭の切れる人だ。その場の空気やお客さんの表情を見て、的確な対応をとる。おどけて笑いをとっていたかと思えば、全体の空気を乱すようなお客さんには毅然とした態度で接する。真摯を絵に描いたようなお仕事とも言うべきか。それでも、お店締めの時に「今日も疲れたーー」と言いながら紐を緩める瞬間は、どれほどハードな日であろうとどこか満足そうな表情を浮かべていた。お店サイドでも働いていたわたしは、それを知っている。


年齢差がちょうどそのくらいなので、たまに「おとうさん!」なんて冗談まじりに呼んでいたけど、わたしにとってはほんとに東京の父親のような存在だった。


やりたいことがあるからアルバイトを辞めたい、と気まずく切り出したときには快く送り出してくれた。「辞めてからでもお客でおいでね」と言われた通り、以降わたしはお客としてその店を訪れるようになった。今まで食べていたまかないは、カウンターの向こうで食べる料理と同じくらい美味しくて温かかったことがわかった。

度々悪い人に引っかかったり様々な悩み事を抱えては駆け込むこともあった。そんなバカなわたしの話でもないがしろにすることはなく、いつも真剣に言葉をかけてくれた。そういうときは大抵頼んでいないおつまみや日本酒が出てきて、ラストまでいなさい、と静かに目配せをしてくれた。



そんな人のもとだから、お店の空気が良いのだろう。隣に座っていた人と面識がなくても、いつの間にか打ち解けて乾杯をしている。ラストの日も例外ではなく、わたしはいつの間にか近くの奥さんから手相を見てもらっていた。



決して目立つ場所ではない、街の片隅にあるお店はいつまでも賑わっていて、笑い声が絶えなかった。Aさんは独立するというだけで、別に今生の別れとなってしまうわけではないけれど。今この場所で、みんなで同じ温度で感じている空気は最後なのかと思うと、やっぱり切ない。

「最後の日にこの場所で、みんなの顔が見れて良かったよ。この景色を見ることはもうないしね。」
そう語るAさんに、一足早いバレンタインと称してチョコレートをあげてきた。キャンペーン期間だからか、サービスで可愛いカードを貰えたのでメッセージを添えて。言葉や文章と関わる職業に就くはずなのに、こういう時には決まって不器用になってしまうのが悔しい。


次のお店も、地域を明るくするような愛される場所になりますように。今までお疲れさまでした。