Coffee brake

ゆるりと気ままに呟きます。

おとうさん


仕事の研修に口述試験に飲み会、目まぐるしく過ぎていく日々の中、どうしても向かわなくてはならない場所があった。とある飲食店である。


4年前の上京して間もない頃、右も左もわからない東京で初めてアルバイトした店だった。接客の仕方から効率の良い作業の仕方、一人暮らしのアドバイスまで、大将は丁寧に丁寧に教えてくれた。彼をAさんとしよう。



そんなAさんがそのお店を離れ、独立することが決まったという。



長年彼が語っていた夢であるだけにいよいよか、と思うと嬉しく、でもいつも迎えてくれるホームがなくなるのかと思うと悲しく。とにかく、そのラストの営業日の夜は、何がなんでも駆けつけようと決めた。



お店からAさんがいなくなる、とわかると皆が次々に予約を入れ、ラストの一週間は特に大盛況だったらしい。小さなお店には入りきらないお客さんもおり、「顔を見せにきただけだから」なんてプレゼントを置いていく人もいる。

常連さんたちはみんな仲が良く、「ここがなくなったら俺たちはどこに行けばいいの」「しばらくロスで落ち込んじゃうよー」なんて笑って話しているけど、どこか目は寂しげだ。

人は次から次へとやってくる。決まってみんなは笑顔で、温かい。ヒーター(とお酒)のせいだけではないほっこりした空気を感じながら、どうしてこの人はこんなにもたくさんの人を幸せにできるんだろう、と考えた。



高校卒業後から働き出したAさんはいつも、「いやぁみんなは高学歴だからすごいよ」なんて言うけれど。必ずしもステータスで人間性が決まるものではない。

現に彼は頭の切れる人だ。その場の空気やお客さんの表情を見て、的確な対応をとる。おどけて笑いをとっていたかと思えば、全体の空気を乱すようなお客さんには毅然とした態度で接する。真摯を絵に描いたようなお仕事とも言うべきか。それでも、お店締めの時に「今日も疲れたーー」と言いながら紐を緩める瞬間は、どれほどハードな日であろうとどこか満足そうな表情を浮かべていた。お店サイドでも働いていたわたしは、それを知っている。


年齢差がちょうどそのくらいなので、たまに「おとうさん!」なんて冗談まじりに呼んでいたけど、わたしにとってはほんとに東京の父親のような存在だった。


やりたいことがあるからアルバイトを辞めたい、と気まずく切り出したときには快く送り出してくれた。「辞めてからでもお客でおいでね」と言われた通り、以降わたしはお客としてその店を訪れるようになった。今まで食べていたまかないは、カウンターの向こうで食べる料理と同じくらい美味しくて温かかったことがわかった。

度々悪い人に引っかかったり様々な悩み事を抱えては駆け込むこともあった。そんなバカなわたしの話でもないがしろにすることはなく、いつも真剣に言葉をかけてくれた。そういうときは大抵頼んでいないおつまみや日本酒が出てきて、ラストまでいなさい、と静かに目配せをしてくれた。



そんな人のもとだから、お店の空気が良いのだろう。隣に座っていた人と面識がなくても、いつの間にか打ち解けて乾杯をしている。ラストの日も例外ではなく、わたしはいつの間にか近くの奥さんから手相を見てもらっていた。



決して目立つ場所ではない、街の片隅にあるお店はいつまでも賑わっていて、笑い声が絶えなかった。Aさんは独立するというだけで、別に今生の別れとなってしまうわけではないけれど。今この場所で、みんなで同じ温度で感じている空気は最後なのかと思うと、やっぱり切ない。

「最後の日にこの場所で、みんなの顔が見れて良かったよ。この景色を見ることはもうないしね。」
そう語るAさんに、一足早いバレンタインと称してチョコレートをあげてきた。キャンペーン期間だからか、サービスで可愛いカードを貰えたのでメッセージを添えて。言葉や文章と関わる職業に就くはずなのに、こういう時には決まって不器用になってしまうのが悔しい。


次のお店も、地域を明るくするような愛される場所になりますように。今までお疲れさまでした。