Coffee brake

ゆるりと気ままに呟きます。

言葉フェチ


わたしは思考を言語化するというか、こうして文章にしたり可視化すると不思議とすっきりするタチだ。

だからスマホには備忘録的な思ったことメモがたくさん入っているし、もやっとしたときにとりあえず思ったことをばーっと書いて、後から整理するツールなんても持っている。このブログも気分転換としてかなりありがたい。

先日、これを見て触発されたらしい友人がブログを始めると言うので話していたのだけど、不特定多数に文章を見せるのってなかなか勇気がいるよね、という話になった。



わたしにとってブログは、他のSNSなどよりもかなり内面に近いものだと思う。Twitterほどふざけすぎず、Facebookのような近況報告でもない。

日頃特別言わないようなことを書いたりするから気恥ずかしい、というのもあるけど、それより何よりシンプルに湧いてくる言葉をそのまま綴るという点が大きいような気がする。



ところで、わたしは言葉フェチだ。



いきなり何を、と思った人もいるだろう。でも別に言葉責めが好きだとかそういうアレではない。そういえば生まれて初めて付き合った彼氏が実は「そういう感じ」の人で、LINEでひたすら「言ってほしい台詞リスト」を送られたことがあったっけ。その他エピソードも多々あり、彼のお陰でわたしの男性観や理想像が崩壊したことは言うまでもない。


話がそれた。


フェチとは言ったけど、特別アダルトな要素は含まない。自分でもなんだかよくわからないけど、普段生活をしている中でぐっとくる表現を見つけたらときめくし、「あ、この人の話す言葉がすごく好きだ」と惹かれることもある。

よく「人のどこを重視する?」という問いに「雰囲気」と答えたりするのだけど、たぶんわたしが思う雰囲気の中には、その人が発する言葉も内包されている。



例えばデートに行くとして、とびきりおしゃれをしたりモテテクのようなものを散りばめて自分を飾ることはできるかもしれないけど、言葉の端々はそうもいかない。

料理を食べたときに出る一言、この前あった話をするときの語り口、受け答えをするときの表現の仕方、言葉の選び方。挙げたらキリがないのだけど、そんな些細な言葉の中に、その人の性格や価値観、置かれている環境もよく現れているような気がする。言葉が雰囲気を作っている、と言っても過言ではないくらい。

いくら高層ビルの夜景が見えるレストランで、黒光りするカードを振りかざされ高級車で送られたとしてもけっきょk……おっと、こんな話じゃなかった。



例えば、「雪」を想像してほしい。

雪はどんな風に降り積もるだろう。その景色を形容する語彙は、都会に暮らす人々よりも、雪国の人の方が圧倒的に多いはずだ。ちらちら、こんこん。粉雪、ドカ雪、べた雪。水分量や粒の大きさ、また降る量によって地方では自然とそう呼び分けられてきた雪を、都会では全部ひっくるめて「雪」と呼ぶ。同じ景色を見ていても、表現の仕方はこうも違う。

雪ひとつをとってもそうなのだから、普段の会話の情報量なんて計り知れない。言葉は、その人の生活を映すひとかけらなんだと思う。



…なーんて風に捉えているだけに、「わたしの文章」を並べ立てているブログを公開するというのはちょっとだけびくびくする。「わたしはこんな人間なんだぜ!」っていうのを小躍りしながら見せているような気がして。

だけど、かと言ってせっかくブログを書くのに保守的になってもつまらないだろうから、何を書けばいいんだろうねって話をしていたわけだ。攻めすぎず守りすぎずの記事って、これがなかなか難しい。



次はどんなテーマでいこうか。今ホットな「ゲス」についてでも語ろうか。考えたくないけど、不倫ってよくある話なんだよなぁ。

以上、おみくじで「三角関係に注意」と忠告されていた結果、その通り二件不倫を持ちかけられたことのあるわたしがお送りしました。既婚者はダメ、ゼッタイ。